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エピソード

◆高校時代は投手 甲子園をかけて伊東勤と対戦

秋山は三塁手、そして外野手としてプロで輝かしい成績を残したが、実は高校時代までは投手だった。熊本県下でも有数の進学校・八代高校ではエースとして活躍し、高校3年で迎えた1980年(昭和55)の夏、チームを決勝へ導き古豪・熊本工と対戦した。熊本工は2年生ながら伊東勤捕手が主軸打者として君臨していた。試合は序盤、八代がリードしたが、結局4-6で敗れた。秋山はこの年、ドラフト外で西武に入団。そして1年後、伊東勤はドラフト1位で西武へ入団する。その後、2人は黄金時代の西武を支えた。現役引退後、伊藤は西武、千葉の監督として、秋山はホークス監督を務め、2014年退任後、野球解説者として活躍している。

◆バック転を生む天性の運動神経

今でも語り草となっている秋山幸二のバック転。1986年の日本シリーズ、西武vs広島は3勝3敗1分で史上初の第8戦までもつれ込む球史に残る死闘だった。0-2とリードされて迎えた6回、秋山は広島・金石から左翼席へ同点本塁打を放った。三塁までゆっくり回っていたが、突如スピードを上げると、本塁前で綺麗にバック転を決めてホームを踏んだ。これで流れを呼び込んだ西武は3-2で逆転勝ちして日本一に輝いた。

◆アクシデントを乗り越え、史上初の2チームでシリーズMVP

1991年7月24日、広島で行われたオールスター第2戦、3-3で迎えた延長12回2死一塁。秋山はカウント2-2からの6球目で、自打球を右側頭部に当てて昏倒。応急手当を受けた後、救急車で運ばれる。一時は視力が0・2まで低下するほどの重傷だったが、復活を果たした。日本シリーズにも出場し、4本塁打を放って初のシリーズMVPに輝いた。

それから8年後の1999年。ダイエーに移籍した秋山は、94年から福岡ダイエーホークス悲願の初優勝へ向けてチームをけん引した。だが、9月8日西武26回戦の2回、西武先発の松坂から左顔面に死球を受けて退場、左頬骨骨折で全治2~3週間の重傷を負った。それでも秋山は10日後、18日のロッテ25回戦で左頬部分を隠す特注ヘルメットをかぶって代打で出場して空振り三振で復帰し、体を張って初Vを支えた。そして日本シリーズ第1戦でも先制の決勝本塁打を放つなど、ベテランとしてチームを引っ張り初の日本一に貢献。8年ぶり2度目のMVPを獲得。2チームで日本シリーズのMVPに輝いたのは史上初の快挙である。

◆2000試合目で2000安打

2000年8月18日、北九州市民で行われたロッテ戦の5回、ロッテ黒木の直球をはじき返して三遊間を破る安打が通算2000安打となった。奇しくもプロ生活20年目、通算2000試合目の出場での達成は記憶に新しい。

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